日陰な日記

自分の気持ちを整理するためのブログです。

子供の考える力を妨げない為には

先日、息子(年中)が幼稚園で年長さんの男の子とケンカをしました。ケンカをしてるようでふざけてるだけの時もあるので、しばらく見守ってたんだけど、そのうち取っ組み合いになってきたので止めに行きました。ケンカの理由は、2人とも断片的にしか言わない(言えない)ので、その時はよく分からなかったんだけど、2人とも叩いたり蹴ったり引っ掻いたりしてしまったので、2人ともごめんなさいしておしまいにしようってコトで、息子に謝らせました。相手の男の子は謝ってくれませんでした。代わりにお母さんが謝ってくれましたが。

帰り道に話を聞いたのと、相手の男の子の言い分とをまとめると、

・男の子が他の子に意地悪なことをしてた。

・それで息子が男の子に「犯罪者だ」と言った

・それに怒った男の子が息子を叩いた

それから息子もやり返し、ケンカになった、、、こんな感じのようでした。

これはもう、どっちもどっちですね。意地悪するのも良くないし、「犯罪者だ」なんて言うのも良くない。

でもまあ、息子は謝ったことだし、他の子に意地悪してるのを止めたこと自体は悪いことではないし、子供の喧嘩だし、もういいよってことで帰りました。


そして昨日、私は風邪をひいて体調があまり良くなく、ほぼ休んでいました。家事は夫任せにして。

夫は体力作りのためにジョギングなどをしているのですが、昨日もお昼過ぎにジョギングに行きました。

ジョギングから帰ってきて、夫はお風呂に入りたかったようですが、子供達も一緒に入れてしまおうと思い、こう言いました。

「お父さんと一緒にお風呂はいる人はおやつあげるよー」

娘(1歳11ヶ月)は、お風呂のことが耳に入ってたかは微妙でしたが「おやつたべるー」と言って、それまで遊んでたiPadをすぐおしまいにしました。

息子は、見ていた動画がまだ終わらなかったこともあったのでしょうが、「そういうのはさ、おかしいよ」と、夫に反発しました。「何が?」と言われ、ビクビクしながらも「お父さんとお風呂に入ったらおやつっていうのはずるい」と答えました。

夫としては息子のこの反応を予想してなかったようで、すごく腹を立てました。ただ、怒りながらも息子のおやつも用意し、自分はさっさとお風呂に入ってしまいました。

私はこのやりとりを見ていて、さてどうしようか、と考えました。だって、息子の気持ちも、夫の気持ちも分かるから。そして、今更ながら気付いたことがありました。

息子は、何が悪いか、何がおかしいか、自分で考えて、判断できるようになってきたのだな、ということ。

ただ、その自分の考えを的確に表す言葉を知らないから、自分の知ってる言葉で近いものを使おうとすると、攻撃的な言葉になったり、相手を不快にさせてしまう。よくよく考えれば、今までも何度かこういうことはありました。最初のケンカの例もしかり。

親としては、的確な言葉を教えてあげるべきなんだけど、それには息子の考えを正確に知らなければならないので、なかなか難しい。

そして、気を付けなければいけないのが、反発されたことに怒り、怒りのまま「文句を言うな」と怒ってしまうこと。そうすると、反発したら怒られると思って、考えもしなくなる可能性がある。


夫としては、今一緒にお風呂に入れた方が後で楽だから、お風呂に入れるためにおやつをエサにしただけ。

でも、息子としては、おやつは毎日普通に食べられるもので、それに条件が付くのはおかしい、という考えだったと思います。



夫がお風呂から上がる頃、娘がおやつを食べ終わり、「おふろはいる」と言いだしたけど、夫の怒りは収まっていなかったため、お風呂に入れてくれませんでした。

でもそのあと、息子に叱るとき「自分でお風呂に入れないんだから、ずるいなんて言うのはおかしいよ。言葉遣いを気を付けなさい。言い方が悪いと嫌な気持ちになるから」と言って、文句を言ったこと自体は怒ってなかったので、夫もちゃんと分かっているのだな、と安心しました。

本当は「おやつ食べよう。そのあとお父さんとお風呂に入ろう」

と言えば、良かったのだと思います。きっと夫も分かっています。そのことも謝ることが出来れば一番良かったのでしょうが、腹が立つ気持ちを抑えて、息子に接していたことだけでも、良かったと思いました。


きっと、今後もこういうことが何度もあると思います。そのときに、怒りに任せて怒るのではなく、きちんと何がいけなかったか、どう言えばよかったか、を教え、自分の考えを言うこと自体はいいことだから、的確に相手に伝わる言い方を導いてあげられればな、と感じています。


突然の断乳

新学期早々、息子が熱を出した。まあ、幼稚園に行き始めれば仕方ない、と思っていたのだが、、、いつもの風邪とちょっと違う。

珍しく喉を痛がる。頭も痛がる。咳も鼻水も出るけど、いつもの風邪ほど酷くはない。まあ、風邪の症状ではあるが、珍しいと思っていた。


熱が出る1週間前から、鼻づまりで耳鼻科にかかりアレルギーの薬を飲んでいたのだが、改善された感じがせず、微熱もあり、風邪の薬が処方された。次の日高熱が出て、溶連菌の検査をした(幼稚園の同じクラスに溶連菌の子がいた)が陰性で、より強い抗生剤が出された。次の日は頭痛と喉の痛み、だるさ、寒気の為、あまり寝れないようだった。私はほとんど座薬は使わないのだが、使わざるを得ない状況だった。

高熱から3日目、夫が「耳鼻科じゃなくて、普通の小児科に行ったほうがいいんじゃない」と言ったことから、朝イチで小児科に行った。そこであらゆる可能性の検査をしてもらい、ついでに血液検査までしてもらった。全ての検査結果が陰性だったが、血液検査の結果が悪く、総合病院を紹介され、入院を勧められた。

小児科を後にして、そのまま総合病院に向かい、首のリンパが腫れているが、条件が揃わず今のところ病名がつかない、診断できないということで、経過観察の為、やはり入院になった。

息子の入院には、私が付き添って泊まらなければならない。なので、とりあえず必要なものを夫に持ってきてもらい、息子が寝てる間、自分でも取りに行ったりした。


そして、一つ問題があった。1歳5ヶ月の娘は、まだ授乳中だ。夜はいつも、おっぱいを飲みながら寝る。夜中に目を覚めした時も、おっぱいを飲んで、日中ストレスを感じた時もおっぱいを飲んで、、、。

日中はどうにかなるとして、問題は夜だ。病院は感染防止の為、乳幼児の面会は禁止だ。もちろん、娘を一緒に泊めることはできない。どうするか、、、。


私は、断乳を決意した。

あまりにも突然すぎるが、ほとんどおっぱいを飲めなくなったあとにまだ授乳を続けると、本当におっぱいをやめるときに大変になると思ったからだ。

私は、荷物を取りに行ったときに、娘に最後のおっぱいだということを言い聞かせ、今夜はお父さんと2人だということも話した。理解しているかは謎だが、娘は「うん」と言った。

最後のおっぱいをあげていると、しばらくして、娘は眠ってしまった。そして、口からおっぱいを離した、、、。

これが最後かと思うと、とても寂しく、あまりにも急で娘に申し訳なく感じ、涙が出た。


その夜、娘はぐずりもせず、マグマグを抱えて一人で寝たらしい。夜中も一度だけ泣いて起きたが、また寝て、朝まで寝たようだ。ほっとした反面、寂しくもあった。


次の日、私は用事があったので、息子の付き添いを夫に代わってもらい、娘と家に帰った。

娘は私を見ると、少し驚いた顔をして、抱っこをせがむように泣き始めた。その後、一回また病院に戻ったりバタバタしたせいか、娘は泣き止んだが、家に帰ると、やはり、おっぱいを欲しがった。

「もうないよ。昨日でおしまい。」と言うと、大泣きした。あぁ、やっぱりこれが自然だよな、昨日は我慢したんだな、と感じた。

急遽、おっぱいにマジックで犬の絵を描き、「おっぱいはワンワンになったよ。だからもう飲めないよ」と、おっぱいに描いた絵を見せた。すると娘はさらに大泣きした。私は用事があったので、娘に声をかけながら準備をしていた。ときおり座ると、寄ってきて胸元を引っ張り、おっぱいを欲しがった。私がおっぱいに描いた犬を見せると、首を振って大泣きした。娘には申し訳ないと思いつつ、泣かせたまま準備をし、終わって「行こっか」と声をかけると、泣きながら「うん」と返事をした。

それから娘は、一人になったときに泣いたり、車のシートベルトをするときに嫌がったりはするものの、おっぱいを欲しがっては泣かなかった。

この日の夜も、寝る前に少し泣いただけで、すぐに寝てくれたようだ。甘える対象がいないので、しょうがないと割り切っている感じはある、と夫は言っていた。


娘にとって、あまりにも突然すぎる断乳。これが成功したのかどうかは、私と息子が家に帰ってみないとわからない。ただ、私のおっぱいが張って痛くて仕方がないのは、同じくらいの心の痛みを娘に負わせた代償だと思うことにしている。


肝心の息子だが、1日目は熱と痛みであまり寝れなそうだったが、MRIの結果、リンパの奥の方の腫れと蓄膿症が認められ、ステロイド治療に変更した途端、熱が下がってきて、痛みも引いたようだ。鼻づまりがまだあり、多少寝にくいようではあるが、ここ数日に比べ、うなされることもないので一安心だ。


今日のところは、痛すぎて眠れないおっぱいの対処を考えないといけない。




子供の拉致事件

先日、FBを見ていたら、信じがたい投稿を目にした。

保育園に通っていた子供2人(兄弟)が、児童相談所の職員に拉致されたという内容だった。児童相談所の職員は、その子達が虐待されているから保護するという名目で、保育園から連れ去ったらしい。保育園側も、何が何だか分からず、引き渡してしまい、それっきり、親は面会も許されないそうだ。投稿していた母親の話では、虐待の事実はないという。

これが本当ならとてもひどい話だ。同じ子を持つ親として、怖い。怖すぎる。

 

気になったので、貼ってあったリンクから、いろいろと見てみたら、児童相談所によるこういった拉致まがいの保護は、全国でかなり多いらしい。専門に扱っている弁護士曰く、4万件もあるとか。

本来、子供を虐待から守るべきはずの児童相談所が、なぜこのようなことをするのか。

私がみた記事や動画によると、こういうことらしい。

子供を保護すると、児童相談所には国から、ひと月一人当たり約32万〜35万の手当てが入る。このお金を目当てに、連れ去っているというのだ。児童相談所としては、この手当てが欲しいので、いつでも定員をいっぱいにしておく必要がある。そこで、虐待の事実がなくても、虐待があるとでっち上げ、どんどん子供を連れ去るのだという。

また、検挙数(子供を保護する数)を上げて、虐待から子供を守ってますよ、という、世間へのアピールという側面もある。

連れ去る子供は、実際には虐待されているわけではない。ただ、泣き声がうるさいとご近所から通報があったとか、顔にアザがあり、虐待が疑われる(実際にはおもちゃをぶつけたとか転んだとかでできたアザ)とか、親とちょっとケンカして、子供が学校で愚痴ったとか、そんなことを取っ掛かりとして、連れ去るのだ。そして連れ去ったが最後、何ヶ月も、最悪何年も、面会も一切の接触も許されない。さらに、連れ去った子供には、自分は虐待されていたと思い込ませるため、精神薬を投与し、マインドコントロールするのだ。

 

恐ろしい。恐ろしすぎる。

 

このようになってしまったのは、虐待死してしまう子供が絶えず、国が、児童相談所に絶大な権力を与えてしまったからだ。児童相談所の職員は、何の資格もない、ただのおじさんやおばさんだが、その個人の判断で保護すべきとしたら、親の同意の必要もなく、事実確認の必要もなく保護ができるのだという。そうなってしまえば、警察も手出しはできない。

児童相談所では、むしろ、本当の虐待や、親がヤクザなど、面倒なケースには対応しない。それゆえ、虐待死はなくならない。

親が虐待だと思っていなくても、世間から見れば虐待だというケースもあるだろうし、暴力だけが虐待ではないから、分かりにくいケースもあるだろうけど、きちんと子供のことを考えて、事実確認をした上で対応してもらいたいものだ。

また、マスコミには、虐待のニュースだけではなく、児童相談所の実態も取り上げて欲しい。

 

子供がある日突然連れ去られないように、虐待を疑われるようなことはしないように気を付けなければならない。特に最近はイライラしがちで、すぐ怒ってしまうので、怒鳴りそうになったら児童相談所の事を思い出して自制しようと思う。

ボードに行くときのお約束。

3/14は私の誕生日だ。


先月、今年は私の誕生日が土曜日ということで、夫がどこか温泉にでもいこうかと言い出した。

プレゼントで欲しいものをきかれてもいまいちピンと来ないし、温泉確かにいいなーと思い、「いいね〜」と答えた。

夫「もしくはボード行くとか」

私「それもありだねー」

夫としては、買ってしまった前売りのリフト券を無駄にしたくない気持ちもあったのだろう。

結局、泊まりでスキー場に行くことになった。宿はスキー場からすぐ近くのところ。


夫も私もスノーボードを滑るのが好きだ。ただ、私には懸念があった。

それは、滑りに行くと、毎回必ずと言っていいほど、夫が不機嫌になる事件が発生すること。


去年の1月には、産まれて2ヶ月くらいの娘を夫が車でみてて、その間私が息子にスキーを教え、娘が泣いたら私たちは車に戻る、ということにしてスキー場へ行った。

娘はその日、行きの車で寝てから驚くほど起きなくて、結局、戻る予定の11時半くらいになっても起きなかった。なので、夫にはこれから引き上げるとメールして、息子と私はスキーを切り上げ、レンタルしたスキーを返しに行き、車に戻ろうとしていた。もう戻るところだから、と油断した。

レンタルスキーを返している途中で、携帯の着信に気づいた。電話に出ると、夫の怒鳴り声と、娘の泣き声が聞こえた。

「何考えてんだ‼︎ふざけんなよ‼︎さっさと戻ってこい‼︎」

電話を切られた後、携帯を見ると、6分前から6回の着信があった。

(しまった、油断した)

私は、スキーを運んで返しに行くところで、携帯のチェックを怠ったことを激しく後悔した。その一方で、

(まだ6分しか経ってないのに怒りすぎじゃない?しかもスキー持ってたら出れないよ)

という気持ちもあった。もちろん、夫の機嫌を逆なでするので、そんなことは言わなかったが。


今シーズン初めての去年12月には、1歳になった娘を託児所に預けて、最初に私が息子にスキーを教えて夫は滑り、1時間くらいしたら息子も飽きるので、今度は夫が息子と雪遊びして私が滑るということにして、スキー場へ行った。

予定通り滑り終わったあと、私が娘を迎えに行き、息子と着替える間に、夫はボードを片付け、昼食を食べるためにリゾートセンターのロビーで待ち合わせることにして夫とわかれた。

私は娘を迎えに行き、更衣室で着替え、荷物を持ってロビーで待っていた。夫がなかなか来なかった。息子は待っているのに飽きて落ち着かなくなってきた。

荷物も邪魔だし、一旦車に戻ることにして、車に行った。

車に夫はいなかった。鍵もかかっていた。その時、夫から着信があった。

「どこよ?」

私は、「なかなか来ないから車に来た」と答えた。荷物を置きたい事を伝え、夫に車に来てもらった。

どうやらすれ違いになったらしい。

「電話しろよ、バカ。」

と言われた。まあ、確かに。忙しいのかと思って電話したかったのが仇となった。


今年の1月には、いつもより少し遠いスキー場へ泊まりで行った。娘は1日託児所に預けて、午前中は前と同じく、私が息子にスキーを教え、途中で夫と交代した。午後は息子も託児所に預けて、夫と二人で滑った。

この時は順調に思えたが帰りにまたやってしまった。

この日はとても天候が悪く、吹雪だった。

滑り終わった後、いつものように私が子供たちを迎えに行っている間、夫がボードを片付けることになった。吹雪のため、入り口に車を回すから中で待っていてと言われた。言われた通り、子供たちを迎えに行った後、入り口付近で待っていた。

なかなか来なかった。また息子は待ちきれなくなり、落ち着かなくなってきた。

今度は、前回の反省を活かして、夫に電話してみた。

「お客様のおかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません」

何度電話しても繋がらなかった。

何となく不安になって、吹雪の中、子供たちを連れて車に行くことにした。幸い、車は近くに停めてあるはずだ。

外に出ると、酷い吹雪だった。息子は「僕大丈夫だよ」と言っていたのに「さーむーいー!いーやーだー‼︎」と叫びながら歩いていた。息子の小さい長靴では、雪に埋もれてしまった。

車に戻ると夫はまだ片付けをしていた。

夫「中で待ってろって言ったじゃん‼︎」

私「なかなか来ないから。電話も繋がらないし」

夫「電話電池切れたって言ったじゃん‼︎」

私「あ、そっか」

そういえば、午後滑っている途中にそんなことを言っていた。うっかり忘れていた。

1日吹雪だったので、車の雪下ろしをしなきゃいけなかったのに、雪下ろしの道具を忘れて時間がかかり、さらにキャリーの鍵穴が凍って開かなくなって、溶かすために持ってきておいたはずの水がなくて、仕方なく飲みかけのみかん水を使ったらしい。

フロントガラスについた氷もなかなか取れなくて、発進するのにも時間がかかった。ようやく発進しても、吹雪で駐車場の出口が分からなくなり、ぐるっと回ってようやく出口まできた時だった。

観光バスが駐車場に入ってきた。バスは、私たちの車に気づかず、こっち側に曲がってきた。夫はクラクションを鳴らしたが、バスは止まらなかった。

「ぶつかる!」

と言った瞬間、ゴリゴリ擦れた、ゆっくりとした衝撃があって、バスは止まった。

「マジかよ、最悪」

夫は呟いた。

もう、不機嫌どころの話ではない。

その後は、警察を呼んだり、バスの運転手と話し合ったりしたが、吹雪のため警察の到着も遅く、1時間半近く車内で待つことになった。



バスの事故の件は別としても、こんな風に、いつも何かしら不機嫌になることがあるのだ。

私の落ち度ももちろんあるが、夫が短気というのもある。

なので、今回の旅行も、とってもウキウキでとは言い難かった。

とはいえ、私のために企画してくれた訳だし、滑るのは好きなので、せめて落ち度がないよう、細心の注意を払おうと思った。


朝は8時くらいに家を出ることにして準備していた。時間が早いので、朝ごはんはどうしようかという話になったが、味噌汁が残っていたので、私と夫は食べていくことにした。子供たちは、ギリギリまで寝てるようなら、コンビニでパンでも買って食べさせればいいかと思っていたが、7時くらいに起きてきた。なので、子供たちにも急いで食べてもらった。

息子は、私や夫が本気で怒らないと、急いでと言ってもなかなか急がない。仕方がないことだと分かっているが、今日はスキー教室の受付の時間が決まっているので、遅れるわけにはいかなかった。

息子を何度も急かし、ご飯を食べさせ、着替えさせ、自分は洗い物や娘の着替えをした。

行きの車で飲んで行くために、タンブラーにコーヒーを入れた。夫はレギュラーコーヒー、私はカフェラテだ。

余談だが、最近、コーヒーが好きになってきた夫は、もともとの凝り性もあり、ミルクスチーマー付きのエスプレッソマシンを購入した。ハンドドリップしていたときは、時間のある週末しか飲めなかったコーヒーが、毎朝ボタン一つで飲めるようになったのだ。


出発の時間が差し迫る中、夫が先にコーヒーを落とし、次に私がスチームミルクまで作ってカフェラテを淹れた。

夫は大体の荷物を積み終わると、先に車に行った。

私はスチーマーの先を洗い、子供達に上着を着せ、ルンバ(掃除機)をかける準備をし、残っていた荷物とカフェラテのタンブラーを持ち、娘を抱っこし、息子を連れて車に行った。

8時を少し過ぎていたが、その点でのお叱りはなかった。しかし、ゴミ箱に、捨てた飲み物が少し溢れていたということで、お叱りを受けた。

ガソリンがあまりなかったので、高速に乗る前にガソリンスタンドに寄った。ガソリンを詰め終わって、スタンドを出た後である。

夫「コーヒーちょうだい」

私「どこにあるの?」

夫「え、持ってこなかったの?」

私「え?」

夫「食洗機の後ろに置いてきたよ!ここ置いとくからよろしくねって言ったじゃん‼︎」

私「えぇーっ?!うそ‼︎自分のは自分で持って行ったと思ってた‼︎」

夫「マジで?!楽しみにしてたのに。はぁ、、、」

私「(言われた記憶ないからなんか腑に落ちないけど)ごめん、、、カフェラテ飲む?」

夫「そんなものはいらない」


夫はなかなか立ち直れず、スキー場に着く直前まで機嫌が悪くなっていた。高速を下りるちょっと前に寄ったサービスエリアで「う○こと一緒にこのやり場のない気持ちも流してきた。ほんとはもっとガツンと言ってやりたいけど、○○(私)誕生日だから怒れないし、しょうがないから許してやる」そうだ。

言われた記憶はないが、よろしくと言われて私は返事をしたらしい。バタバタしている時などは、そういうことが結構ある。逆もまた然りだが。



どんなに気をつけようと思っていても、詰めが甘いのか、配慮が足りないのか、こういう事件が起こる。

ただ今日は、帰りには事件が起こらずに済んだ。しかも、夜には偶然にも、スキー場で花火が上がったのが宿から見れた。

最高‼︎とは言えないが、機嫌よく1日を終えられて良かった。


まだ今日があるので、気を抜かずにいないと。




3月11日の今日思うこと。

今日は3/11。

テレビをつければ、4年前の大震災の話題ばかりだと分かっているのでつけない。

私の盛岡での生活は、あの日から始まったと言っても過言ではない。


あの日私は盛岡の自宅にいた。今の家ではないけど。実家(実家は盛岡ではない)で息子を出産し、盛岡に来て3日目だった。産後まだ1ヶ月経ってなかったので、家をでたことがなかった。盛岡はどんな街か知らなかった。

経験したことないほど揺れたけど、幸い、本棚の本が落ちたくらいで済んだ。でも、停電が続き、夫が帰ってくるまでは、産まれたての息子と二人っきりで心細かった。

家の中でダウンジャケットを着て、余震の度にドキドキし、ドアが開かなくなったときのためにあらかじめ少し開けておいて、息子を抱いて、ひたすらじっとしていた。


幸い、携帯のネットは繋がった。釜石で4メートルの津波というニュースが目に飛び込んだ。釜石は夫の実家がある。お義父さんとお兄さん家族が住んでいる。叔母さんや叔父さんもいる。しかも、夫の実家は海のすぐそばだ。お義父さんは漁師だ。

夫にメールした。

夫から返信が来た。

「まじで死んだかも」


そんな。まさか。いやいや。きっと大丈夫だって。


そんな、期待というか、甘い考えは、夫の帰宅後薄れていった。

地震の直後は電話繋がったけど、それから繋がらない。親父は船を見に行ったらしい」


夫の携帯のワンセグでテレビを見た。気仙沼の映像が流れた。まるで戦争のようだった。戦火が流れているように見えた。今、現実に起こっていることとは信じられなかった。


それから、盛岡に住んでいる、夫の後輩も呼んで一晩過ごした。真っ暗な中、ペンライトのような懐中電灯しかなく、それもいつ電池が切れるか分からない。

オムツを替えたり、食事するときだけつけた。


食事は幸い、お昼に作ったチャーハンの残りがあった。あと、冷凍庫に、夫の実家から送ってもらった鯖があった。水も出なかったが、ガスもプロパンなので、火がついた。

「親父の鯖が食べられるのは、これが最後かもしれない」

夫はそう言って、鯖の塩焼きをかみしめた。


次の日も停電は続いた。夫の実家がどうなっているか、情報も入ってこない。余震はあるが前日に比べると小さくなっていた。


夫は買い物に行った。いつまで停電が続くかわからない。いつまで冷蔵庫の食料が持つか分からない。できる限り買えるものは買っておこう。

開いている店は少なかったが、なんとかオムツや駄菓子を買ってきた。その日、残っていた鯖を私にくれて、夫達は駄菓子を食べて過ごした。

「悪いけど、食料の最優先は息子だから」

夫は後輩くんにそう言っていた。

つまり、私の母乳だ。私の母乳がでないと困るから、私に優先して食事をくれたのだ。

息子優先が本音か建前かは分からないが、私を気遣ってくれたのは確かで、おかげで私の母乳は止まらずに済んだ。


その日の夜、電気が復旧した。盛岡は割と地盤が強く、被害が少なかったこと、岩手の中では中心部であることから、他のところより早く復旧したようだ。私たちは、抱き合って喜んだ。


また次の日の13日、後輩くんが家に帰ったあと、夫は釜石に向かった。ギリギリ往復できるくらいのガソリンが残っていた。車がプリウスだったのが幸いした。


夫が出かけた後、私はただテレビを見て、息子の世話だけをして過ごした。

夜になり、夫から電話があった。電話の内容はこうだった。

「甥っ子たちは、それぞれの学校や保育所で避難して無事。姉(お兄さんの奥さん)も、末っ子連れて走って逃げて無事だった。兄は仕事中で、職場は無事。それぞれ、別々の避難所にいたけど、ちょうど姉たちがヘリで中心部の体育館に輸送されるところだったから、オレの車でみんな同じ避難所に連れて行った。親父は叔母さんを避難させた後、船見におりて、波が来て、車に乗ったところで、車ごと流されたらしい。見た人がいるみたいだ。」

夫は泣いていた。お義父さんが流されたことにではなく、他の家族が無事だったことに泣いていた。

夫は夜中に帰ってきた。日付が変わり、14日になっていた。

14日は、私の誕生日だ。

夫は、小さいおにぎりを持っていた。避難所で配られたらしい。「オレはいい」と断ったが、お兄さんに「持っていけ」と言われ、持って来たのだという。

「こんな小さなおにぎりしか食べられないなんて、、、」

夫は泣きながらおにぎりを食べていた。

疲れていた夫は

「誕生日おめでとう。おやすみ」と言ってくれて、寝てしまった。


その後、夫は何度も釜石に足を運んだ。その度に、親戚や、友人や、可愛がっていた後輩などの訃報を聞くことになった。


数日後、夫は、可愛がっていた後輩の一人が、避難者リストに載っているのを見つけた。泣きながら「良かった」とつぶやいた。私にとっても、サークルの後輩だったので、本当に良かったと、安堵した。


少しずつ、少しずつ、閉まっていたお店が開き、ガソリンスタンドに並ぶ列も短くなり、前の日常に戻ろうとしていた。

物資の不足は、意外と早く回復し、念のためと買い込んだ中国産の冷凍野菜は、やはり美味しくなく、捨てることになった。


月日が流れ、みんなそれぞれ、新しい生活を始めていた。

サークルの後輩たちが次々に結婚し、子供が産まれる家庭も多かった。

昨年度は、我が家の第二子も含め、出産ラッシュだった。

そんな中、3月11日に誕生した命も、二つあった。

1人は、私の高校の友人で、震災があった年に、いわゆる「絆婚」をした子の子供。

もう一人は、震災の数日後に避難者リストで見つけた、夫の後輩の子供だった。


もちろん、偶然だろうが、彼女たちにとって、この3月11日は、最悪の日であり、最高の日でもある。

震災の記憶が薄れ、ただ純粋に、誕生日を祝える日は来ないかもしれないが、あの日を振り返るために、とても意味を持った、特別な日なのだと思う。

私も、3月11日が来るたびに、震災のことも、まだ見つからないお義父さんのことも、2人の子供の事も思い出すだろう。



夕飯の準備の時間

主婦の毎日の仕事に、夕飯の準備があります。皆さんは、どのくらいの時間で準備するのでしょうか?

私はだいたい、配膳も含めて1時間30位かかります。我が家では、18:30には食べ始めたいので、17:00には作り始めたいと思っています。


ですが。


どうもそうもいかない日が多々あります。


【ある日の例】

16:30  (そろそろご飯の準備始めるかぁ。あー、洗濯物畳んでない。溢れてくずれてるなぁ。子供の分だけでも畳むか。17:00まで畳もう。)洗濯物畳む。その間、娘は容赦なく邪魔してくる。

17:00 (あ、そろそろご飯の準備しないと。でもあと少しだから畳んじゃおう。)

17:10 畳終わって、引き出しに仕舞う。(よし、ご飯作ろう!)

娘、絵本持ってきて「ん!(よめ!)」

私「え?うーん、じゃあ一回だけね」

絵本読む。読み終わって、娘、絵本を私の顔に押し付けながら「んー!(よんで!)」

私「えー?また?もう、じゃあ、本当に次でおしまいだよ!」

絵本読む。読み終わって、娘、また絵本を押しつける。

私「おしまいだってば」

娘、絵本を投げつける。

私「こら、絵本投げないの‼︎」

娘大泣き。なだめながら、もう一度投げちゃダメだよ、という。

割とすぐ泣き止み、納得する。

私「じゃあ、お母さんご飯の準備するから遊んでてね」

娘「や〜だ〜‼︎」と大泣き。仕方なく抱っこするとおっぱい要求。

私「えー?もう、しょうがないなぁ」おっぱいあげる。

17:30 私、娘に「もうそろそろおっぱいおしまいにして?お母さんご飯作らなきゃ。ね?」

娘「や〜だ〜」

私「じゃああと10数えたらおしまいね。いい?」

娘「うん」

私「よし!1、2、3、、、9、10!おまけのおまけの、、、ポーッとなったら終わりましょ!はい、おしまい!」

娘「…」

私「おしまいだって!」

少し経って

娘「あー!(おいしかった!)」やっとおっぱい離す。そしてやっと遊びにリビングに行く。

17:35 ようやく夕飯作りに取り掛かる。作り始めてすぐ、息子遠くの方から「おかあさん!これ見て!」

私「え、見えない」

息子「これ作ったんだよ。すごいでしょ!」

私「そうなん?見えない。」

息子「見てよー!」

私(しょうがないなぁ)見に行って「おー、すごいじゃん。かっこいいね?何作ったの?」

息子「くるまだよ‼︎これは、ヘリコプターで、消防車と合体するんだよ!」

私「へーすごいね」キッチンに戻る。

また少しして

息子「見てこれ!」

私「見えない」

息子、キッチンに持ってきて「ほら、これすごいでしょ‼︎」

私「あーそうだね、すごいね」

息子「にんじん食べたい」

私(急だな!)「はい」息子去る。

また少しして

息子「にんじんちょうだい!」

私「え、また?はい、これでおしまいね。」

息子「はーい」息子去る。

娘、キッチンにやってきて「ん!(わたしもにんじんたべる!)」

私「えー?じゃあちょっとね」

娘立ち去る。その後、にんじんねだりを3回ほど繰り返す。

18:10 まだ味噌汁しか作り終わってなく、メインの調理の途中なのに、夫から帰宅の電話。

18:25 夫帰宅。子供たちが夫に付きまとってるうちに、急いで仕上げに入り、サラダの準備。

18:35 作り終わったものからカウンターに並べる。

18:45 子供達と夫、先に食べ始める。

18:50 娘の分などを準備し、私も食べ始める。


書いていて萎えてしまいました、、、。

ある日の例というか、ほぼ毎日の例ですね。

そもそも目論見が甘く、17:00に始められない。そしてとにかく、子供達の邪魔が入る。しかも、この例はかなりいい方で、これ以外にも、子供たちが喧嘩してなだめに入るとか、息子がトイレ失敗して漏らしたとか、頭ぶつけて大泣きとか、、、。

小さなお子さんがいる家庭では当たり前だと思いますが、本当に自分の思い通りになど進みません。

なので、邪魔が入るのを考慮しての1時間半なのに、時として予想を上回る邪魔が入ったりするのです、、、(>_<)

でも、なんだかんだで、息子が娘と遊んでくれてるので助かってます。そうじゃなかったら、寝られるのを覚悟で、娘をおんぶしなければならないので。

それと、夫はだいたい帰宅が早いので、帰宅からご飯までの20分程度、子供達の相手と配膳してくれるだけでも助かります。


あ、こうやって振り返ると、私、結構恵まれてるかも。


息子との時間の話

昨日は息子(4歳)を幼稚園にお迎えに行った後、娘(1歳)がお昼寝したので、息子と一緒にクッキーを作りました。

息子は泡立て器で混ぜるのをやりたがるのですが、なかなか難しいので、できるところまでやらせた後は私がやって、あとはチョコを割るのとか、形を丸めるのとかをやってもらいました。

一緒にやってて思ったこと。

娘が寝ていて、そちらに気を回さなくて済むと、息子にも優しくなれるということ。

一緒のクッキー作りは楽しかったです。


その後、夕飯の準備の最中に、時間がなくなってきて急いで作ってる中、娘が足にまとわりついてきてわんわん泣きているときに、息子が「トイレ一緒に行こう」とか言うもんだから、「一人で行ってきなさいっ‼︎」と怒ってしまいました。

悪かったな、と思い、戻ってきた息子に「ごめんね、でも今忙しいから、一人でできることは自分でやって」と伝えました。


余裕のなさは、そのままイライラにつながる。心、時間、お金など、、、

朝のお出かけ前のバタバタしているとき。夕飯の準備から、お風呂入れて寝かしつけるまでの間。この時間がどうしても余裕がなくなる。

なかなか難しいけれど、少しでも余裕を持てるように、早めに準備して、息子にイライラをぶつけないようにしたいものです。


あ、豆乳の効果は多少あったのか、昨日は息子に手を上げずに済みました。気の持ちような気もするけど。